4日目 2/16 リバプール


ホテルのレストランで朝食。ビッフェ方式だが、こっちのホテルはメニューがたくさんあって朝から豪華、満腹。さて、迷っていたがこの際ファブ・フォー・タクシーで行くことにする。本来予約が必要らしいのだが、ホテルのフロントにお願いしてみたら、10時からなら来てくれるって。よっしゃー!コースは3時間をお願いする。(実際は5時間コースになるのだが)

朝のお散歩。タクシーが来るまでの2時間、ホテルの周りを散歩してみます。住宅はみんなこのパターンです。何百年も前からずっと前からこんな感じなんでしょう。

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もっててよかった三脚。ジョンの美大とポールの高校の前で。Liverpool Institute for Performing Arts  Mount St, Liverpool L1 9HF

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ジョンと、ビートルズの初代ベーシストだったスチュアート・サトクリフが通うっていた「リバプール美術大学」とポールとジョージの高校「リバプール・インスティテュート」は隣に並んで建っています。今は一緒になって「リバプール芸術総合大学」というらしいです。「リバプール大聖堂」というイギリスで一番大きい教会の真ん前にあります。ポールの高校はリバプールで一番の進学校だったそうですが、美大のツッパリとバンド始めて不良になって退学です。デビュー前のビートルズって、労働者階級で不良で、というイメージがあるので、全体的にもっと下町っぽいところを勝手に想像していましたが、ヨーロッパで一番でっかい大聖堂の真ん前の、小高い丘の上の、こんな由緒正しそうな学生街で勉強してたんだな。

下町の方も歩いてみます。開発が進んでいますが、レンガのビルを壊して、また同じサイズのレンガのビルを作るのでしょう。

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ジャカランダ・クラブ

The Jacaranda 21-23 Slater St, Liverpool L1 4BW

ビートルズが出演していたジャカランダコーヒバー。地下にビートルズが自らペイントした壁がそのまま飾ってあると言うのだが。1階はパブ、2階は中古レコード屋、地下がビートルズが出演していたライブハウスなのですが時間外だったため入れず。これもコーヒバーだから当時は酒出してなかったんでしょうね。

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ホテルに戻ってしばらくするとファブ・フォー・タクシー来ました。イギリスのBlack Cabと言われるタクシーにでかでかと「THE BEATLES FAB FOUR TAXI」と書いてあります。FAB FOUR(いかした4人みたいた意味)ってもちろんビートルズのことです。優しそうなおじさんが運転手です。追加で、ここもここも連れて行ってくれるかとお願いしてみたら、全部で80ポンドと言われた。ここまで来てケチってもしょうがないので、全部回ってくれと大人買いする。車内はずっとビートルズが流れている。

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さて、英語で説明してくれるのではあるが、半分くらいはわからない。どわはははは。しかし、なんと大きな名所ごとに日本語のA4大の詳しい説明カードも用意してくれている。ほんとにありがたい。本で読んだりしてわかっていることでもあるので、話す言葉もなんとなく理解できる。多分リバプール訛りで、しゃべり方がちょっとビートルズっぽくて感動。生まれも育ち地もリバプールの59歳の方でした。お名前が最後までなんて言ってるのかわからず。とほほほほ。

さっきひとりで散歩してたあたりから回ってくれます。ちゃんと説明してくれるのがうれしいです。

Ye Cracke  13 Rice St, Liverpool L1 9BB

ジョンが学生時代に通っていたパブ。写真を見せてくれますが、60年前と何も変わってないのがすごい。

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Liverpool Women’s Hospital Crown St, Liverpool L8 7SS

ジョンの生まれた病院跡。

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新婚時代のジョンのフラット。

もともとはマネージャーのブライアンエプスタインが、ボーイフレンドのために借りてた家だそうです。

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学校の前にもう一度。そして大聖堂。おっちゃんの説明で、ポールが小学生の頃ここの聖歌隊のオーディションを受けて落ちてしまったといっていました。

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タクシーは丘の上の住宅街を進んでい来ます。このあたりは凄く狭そうな長屋が永遠と続きます。人がしばらく入っていない、取り壊し寸前の列もあるみたいです。

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ひときわ小さい列の一つがリンゴスターの家。小さくておしゃれでかわいいけど、共同トイレでふろ無し。かなりの貧乏長屋です。img_2730 img_2732

 

すぐ隣のこの「エンプレス」っていうパブでリンゴのお母さんは働いていたそうです。リンゴのファーストアルバム「センチメンタル・ジャーニー」のジャケットになったかわいい建物ですimg_2738 img_2739 71tdbsqdkll-_sx466_

 

そこからタクシーで10分くらいだったかなあ。タクシーのBGMが「ペニーレイン」に。キター!おっちゃん泣かせるねえ。住宅街を抜けてペニーレイン通りに入ります。しかし周りは林や公園ばかりで、歌の楽しい雰囲気とは違って、夜はとても一人で歩けないような寂しい長い通り。標識がここにあったらしいのですが、ビートルズが「ペニーレイン」を歌った1967年以来、看板は次々とかっぱらわれまくり、今や絵になってしまいました。とはいえ、ここがあペニーレインです。img_2751

さあペニーレインの歌詞に出てくるラウンドアバウト(ロータリー)です。こちらも閑散とした街並み。せめて商店街くらいだとは思ってたんだが、ほんとに田舎のバス停といったたたずまい。ビートルズ町内会。でも歌に出てくる床屋、銀行がまだちゃんと残っているではないか。俺もう半泣きです。ビートルズの「ペニーレイン」のPVの映像にちらっと出てくるのですが、今とそんなに変わらないなあ。ラウンドアバウトの真ん中がレストランになっていて「SGT. PEPPERS BISTRO」だって。つぶれてたけど。

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ペニーレインからちょっと入ったところにある、ジョンレノンが生まれた家。オノヨーコ所有らしい。

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ペニーレインから数分、ジョージ・ハリスンの家です。タクシーのおっちゃんは近所の子供にあいさつ。そうか、このおっちゃんは毎日ここに来てるんだろうから、顔見知りだよなあ。リンゴの家と同じように、こちらもかなり小さい家です。この住宅事情で4人兄弟の末っ子がギターかき鳴らしてら、かなり迷惑な「住宅街の悪夢」だよな。なんとまだ人が住んでいます。静かに写真撮ってもらいます。もちろんのぞけません。観光地に住むって大変だなあ。

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さて今度はポールの家。写真ではわかりにくいけど、ジョージの家より大きいです。両隣は当然誰かが住んでいます。煙突にアンテナがないので、生活してないのがわかりますねえ。こちらはナショナルトラスト管理。バンド内でこの差は何だよ(笑)!労働者階級ではあるけど、庭もあって、ピアノもある。右上がポールの部屋だったそうだ。2人兄弟で自分の部屋があるんだから、まあ立派な家なんだろうなあ。中には入れません。ビートルズの初期のプロモ写真でポールのこの家がたくさん使われていたので、せめて反対側からでも見てみたかったなあ。この家でジョンとたくさん曲作っていたといいます。

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突然車内に「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のイントロが。おっちゃん素晴らしい演出!すると、うっそうとした通りの中に有名なあの真赤な門が突然出てきます。この門の奥にはかつてはストロベリー・フィールドというこんな古いお屋敷が建っていて、当時は孤児院として使われていて、ジョンはよくここに遊びに来ていたという。門柱、門扉にもびっしりと落書き。門扉の細かい造形がとてもおしゃれ。

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門の中はこんな感じ

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かつてはこんな立派なお屋敷だったみたいだが。

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ストロベリー・フィールドからすぐ、ジョン・レノンの家です。幼いころ両親が離婚して母親は育児放棄、おばさん夫婦の住むこの家でジョンは育ちます。4人の中ではいちばん立派な家です。窓にステンドグラス、大きい庭もある。労働者階級の住む家ではないんですね。目の前は中央分離帯のある2車線道路。大きな歩道。高級住宅街です。現在はナショナルトラスト管理ですが、やっぱりテラスハウスになっていて、右半分は今でも人が住んでいます。記憶を頼りに同じかっこをしようと試みますが、ちょっと違ってました。ばかです。

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家から見える通りのバス停前で、ジョンの実母が交通事故で亡くなっています。事故現場もちゃんと案内してくれます。こんな大通りですからスピード出てたんでしょうね。

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 次はジョンとポールが出会ったセント・ピーターズ教会。ここのお祭りで演奏する16歳のジョンのバンド、クォーリー・メンと、それを見ていた15歳のポール。(演奏してた場所は隣の小学校の敷地なので入れない)演奏の後でジョンに紹介されたポールは隣の教会ホールで、ピアノを弾いたり、エディ・コクランの「TWENTY-FLIGHT ROCK」を歌って見せるですが、これがきっかけでバンドに入団することに。正しい歌詞とギターのチューニングを知ってたから加入決定したんだって。ジョンはこの後ポールから、ちゃんとしたギターのチューニングを教わったという。伝説になって映画にもなっているけど、実はかなりレベルの低い話じゃないか(笑)。リバプールの町から10キロも離れた田舎の住宅街の、町内会の、中高生の出し物なんだろうなあ。

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教会のお墓にはエリナーリグビーの墓もありました。これを見て作ったわけではないのに、以前から偶然ここにあったといいます。こじつけもここまで行くと凄いです。「Free as a Bird」のビデオにも出てきますね。

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タクシーで最後に行ったのはカスバ・コーヒー・クラブ。ビートルズが最初にレギュラーで出演していたライブハウス。ビートルズの初代ドラマー、ピート・ベスト(デビュー直前にクビになってしまう、代わりに入ったのがリンゴスター)の母親が自宅の地下を改造して経営していたライブハウスです。案内人が遅れているというので、タクシーのおっちゃんと近くのお店でコーヒーを飲んで時間つぶし。30分くらいしたら案内人がカギを開けて中に入れてくれた。なんとピートベストの弟ローグさんだという!この日のお客は、ポーランド人の(だったと思う)ビートルマニア夫婦と、ビートルズに全然興味がなさそうな奥さん同伴の人と、英語がわからない俺の5人。案内人のローグさんは常にハイテンション。ものすごく早口でなので、予備知識をもってしても、ほとんど聞き取れませんでした。面白かったのが何度聞いてもBEATLESをビースーズと発音していました。

http://www.petebest.com/casbah-coffee-club.aspx

 

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ピートの母は競馬で大穴を当てて豪邸を購入。地下の石炭倉庫をを自分の息子のためにライブハウスに改装(そうとうなお坊ちゃんだな)。開店に間に合うようにビートルズは内装のペンキ塗りの手伝い。みんなで描いた絵やペイントがそのまま残っている。びっくりしたのはその狭さ。最初の部屋なんてほとんど廊下だよ。もう一つの部屋だって、民間の練習スタジオくらいの大きさ。ステージが高くなってるわけでもないし。ここでビートルズは初めてドラマー入りの本格的なバンドを作り、うまくなっていったというけど、規模としては中高生向けのライブハウスごっこだよ。出演者も客も未成年だから酒は出してないし。伝説のライブハウスがこんなに小さかったなんて思いもしなかった。ビートルズって何となくリバプールの中でうまい人たちが集まって出来たグループだと思ってたけど、(リンゴ・スターだけはデビュー直前に入ったから、まさしくそうなんだけど)最初はペニーレイン近くの先輩後輩で集まった仲良しグループだったんだな。金持ちの子供がメンバーにいると、練習場所に困らないってのはいつでも同じだけど、自宅にライブハウス作っちゃうのってすごい。

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 Fab Four Taxiに乗って行きたい所はくまなく回れた。地元の人ならではのディープな話、まだまだあるんだな。英語だから半分ぐらいしかわからないのが悔しいけど、ありがとう優しいおっちゃん。おかげで夢が叶ったよ。

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リバプール大聖堂の前で下してもらう。イギリスで一番大きい大聖堂、世界でも3番目から5番目の大きさらしい。何をもって大きいかによるんだろうけど(笑)。

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パイプオルガンもイギリス最大。日曜に来て演奏聞きたかったな。img_2952

シンプルで美しい!100メートルの塔の屋上にも昇れて、リバプールが360度見渡せます。

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その後さらに町中をほっつき歩いた後、夜はエンジニアの北村さんおすすめの、日本食レストランで食べたよ。寿司とか刺身食おうと思ったんだけど、メニューにカレー発見、本能が逆らえず注文。もちろんとてもおいしかったです。img_3027

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